Nishicon開発秘話 あこがれの沖縄?!  戻る

 1991年(平成3年)12月末、原田専務に1月から福岡の研究開発事業部に応援に行ってくれとの話がありました。

 研究開発事業部は当時、HIBS開発のトラブル続きで大変な時期でした。部員も過勤務が200時間、トラブルの電話対応でノイローゼで辞めた社員もおり、一度応援に行ったら二度と戻れないとの噂も耳にしていました。その頃の私は大した仕事はしておらず、自社開発のフォトラスの応援も終了していました。それより「沖縄」の仕事との事で行くことにしました。

 1月4日から博多駅の筑紫口にある花村ビル4Fに通い始めました。毎日家を7時20分に出て朝は「さわやかライナー」に乗り、帰りは21時まで仕事をして各駅停車で23時に帰宅。確認する事や覚える事は多々有りましたが翌日の事を考えて仕事は21時までとしました。

 私の担当は沖縄テレビ様のQWS開発でした。QWSが営放システムのサブシステムの一つとは知っていましたが、何をするのか知りませんでした。沖縄テレビ様にはTNC様に導入したQWSのデモを既に行っていましたが元々のシステム自体にバグが多々有り、また沖縄テレビ様からもいろいろと仕様変更の要求があったとの事で、先の担当者は「全て出来ません」と答えた為にこの話は中断されていると聞かされました。

 私は早速QWSとはどんなシステムで何を作成するシステムか確認を始めました。与えられたSunのワークステーションでTNC様のQWSを実行させ、ソースの確認、インクルードの確認、マクロの確認、ライブラリーの確認を行いましたが、仕様書は無く、インクルードもマクロも階層の階層、更に階層となっており実態がなかなかと掴めません...

 現在のQWSはサブ機能単位に実行モジュールが分かれて管理され、機能も増えた事もあり担当者が複数に分かれています。この当時のQWSは画面機能が全て1本の実行モジュールにまとまっており、規模は5万ステップ、非常に複雑でした。どのソースがリンクされているかmakeファイルとCLISTコマンドが頼りでした。makeファイルが消えたら...復活出来ず...
 これを一人で見るのは大変...先の担当者は最初に作成した(ノイローゼで辞めた)担当者から引き継いだせいもありQWSを良く理解出来ていないしC言語も怪しい(既に退社した)人でしたから、私への説明もいやいやながら1回限りでした。後は全て自分で画面を動かし、ソースを見て、ファイルフォーマット含めて把握出来たところから資料を作成しました。当時は東芝のワープロ・ルポで資料を書きました。

 この作業の中では、TNC様のバグの確認と沖縄テレビ様からの要求の確認も合わせて行いました。どちらもQWSの一番大きな機能のキューシート処理に関するものでした。キューシート処理は最終的に放送機器のAPCの制御データであるキューシート(APC)データをテキストイメージで作成する機能です。
 当時の一般的なキューシート作成システムは、手書きのキューシートリスト(大半は横書き)に放送機器(イベント)名や素材秒数、放送時刻を書き、それを制御データイメージに(頭で)変換し、キューシートシステムにテキストデータとして入力します。入力後時刻や映像、音声イベントの関連チェックを行い完成する仕組みでしたが、可成りの経験が無いとこのキューシートイベントの組み立ては出来ませんでした。手書きのキューシートまでは割と簡単に書けますが...

 HIBSではSunViewのグラフィック画面上に手書きのキューシートを縦書きにしたイメージで表示しマウス操作でキューシートを完成させます。最初に基本フォーマットまたは特定フォーマットから本編、CMの映像、音声のベースイベントを展開し、それにマウスの操作でスーパー(映像、音声)や各種制御データを追加し、属性(素材秒数、素材アドレス、FCやFF等)を設定します。当然削除(マウス右クリック)も可能です。最後に時刻の自動計算、各種関連チェック等を行いOKとなるとキューシートデータ(テキスト)を自動生成する夢のような?システムでした。
※FCはフェードイン・アットアウト、FFはフェードイン・フェードアウトの略。

 こんな夢のような仕組みにはいろいろと問題が有りました。手書きイメージを保持する為に内部データとしてはベースとスーバー、映像と音声イベントのデータをそれぞれ別々のデータとして管理し、表示位置の列、行情報や連結情報等の属性を保持していました。その為に複雑にスーパーが絡んだキューシートを作成するとアッと驚くようなぐちゃぐちゃなキューシートデータが生成される事も有りました。

 結論的には今のファイル構成ではバグも要求も解決しない、出来ないと判断し、新たに全てのファイルの設計をし直しました。基本的には横に並んだ同一時刻の映像、音声イベントはベース、スーパー単位に1データで保持し、キューシートデータ生成時のロジックが複雑にならないように設計しました。また今の開発方法では所属している統合システム開発部ソフトウェア開発グループでは開発出来ないと考えて、本社に残っている大谷さんと春田君に研究開発事業部のライブラリーの仕様確認と具体的なプログラムへの組込み方についてマニュアルの作成をお願いしました。

 3月末にいよいよ沖縄に立花さんと(初めての県外)出張に行きました。それまでにルポで60枚程度の沖縄テレビ様仕様の資料(基本設計書)を作成しました。短期間の割には良く書けたと思います。キューシートの画面イメージをルポで書き、特にデータ展開出来なかったスーパーのケースについてはデータ保持の方法も含めきめ細かく書きました。

 沖縄テレビの担当は西田さんって方で、私と年齢が近いせいか? 熱心に説明したせいか? 先にデモに来た担当者がダメだったせいか? 同行した立花さんに信頼があったせいなのか? 最初から気が合ったのか(後でわかりましたが釣り好き、麻雀好き)? 気さくに対応してくれて西コンでこんなに資料を持って来たのは初めてだと言われました。その後、食事に誘ってくれて開発はそのままGOとなりました。納期は9月。今年の?

 ここからが大変でした。研究開発事業部の元々の(バグを多々含んだ)ソースは一切使わず、統合システム開発部ソフトウェア開発グループでQWSを一から作成する事にしました。開発は、応援の立場を忘れて?小倉本社に戻り大谷さん、春田君中心で行いました。他のメンバーは新日鐵等からの帰任者を中心に古海君、中村元行君、有角君、佐々木さん(現・横矢さん)...
 新日鐵から帰任後に開発を行ったPC版の仕様書やソフトウェア開発グループとして作成したC言語コーディング標準を元に、SunViewライプラリーは既に大谷さん、春田君が整理済み、ファイルライブラリーはシステム開発グループ作成のISAMを利用させて頂きました。

 画面系の開発が中心でしたが、SunViewを動かすSunのワークステーションは当時安くても1台300〜400万円もしていました。小倉本社には無い為、統合システム開発部用として最も安いのをやっと1台購入して頂きました。(途中から納品用のワークステーションが3台増えました)開発(コーディング)はワークステーション1台につき2台までRS232C(エミュレーション)経由でPC接続が可能でしたが、当然動作確認はワークステーション本体でしか行えずに大変不便でした。また当時のPCはネットワークボードなど付いておらず、このネットワークボードがまた高く5万円近くもしておりこの購入許可を取るのも大変でした。

 開発環境を整えるのも大変でしたが、なんとかエディタのviにも慣れ、開発も徐々に進みました。最大の難関、キューシートの縦書きイメージの作成は大谷さんがプログラミングし、研究開発事業部のキューシートとほぼ同じように出来た時はちょっと感動しました。
 また当初の大きな目的であるキューシートからAPCデータ作成も複雑なスーパーが有ってもほぼ問題無く、設計通り出来ました。新日鐵または東陶から帰任したUNIXもviも知らないメンバーが大半でしたから、社内ではホスト屋と(皮肉を込めて)呼ばれていました。

 8月になり、沖縄テレビの西田さんが小倉本社に開発状況の確認に来られました。まずまず動いたとは思いますが、細かいところはまだ出来ていない状態でした。
 9月にいよいよ大谷さんと春田君の三人で納品に伺いました。3週間の予定でしたが実際に現地でSunのワークステーションを設置しユーザ様に説明しながらフォーマット作成、キューシート展開、スーパーや属性設定等行いましたが、沖縄テレビ様の現時点のキューシートを作成する内にバグがいろいろと出て来ました。バグ改修の為途中からユーザ様への説明も出来なくなり、現地では大谷さんと春田君がフル回転で改修を行い、本社の中村君には何度も電話で改修指示を行いました...
 3週間後、結局本番移行とはならず、持ち帰り再調整する事になりました。結構長い出張でしたが...一からQWSを作成するには余りにも時間が足りませんでした。

 11月に再度、納品作業に行きました。今度は私一人で行きました。9月の事が有ったため優しかった西田さんも厳しい対応となりました。その為2週間分の全番組の(今後のコピー元となる)フォーマット、キューシートについてコメント入力まで含め全て私が作成しAPCデータの生成を行い、システム的にも問題無い事を確認しました。
 その後沖縄テレビ様の各ご担当者の皆さんに再度、フォーマット入力、フォーマット展開、キューシート作成、放送進行表の出力、APCデータ作成等のレクチャを行い、本番切替となりました。切替は問題無く出来ました。

 一度信頼を失いかけましたが、この切替以降APC関連の放送トラブルも少なく、キューシート作成もベテランで無くても簡単に出来る運用体制となりました。
 沖縄テレビ様には1998年4月にWindows版の新HIBSに更新して頂き、2006年9月にはデジタル対応のFNS−HIBSの更新もして頂きました。最初のVAXシステムを含めると実に4世代に渡り弊社のシステムをご利用頂いています。

これを読まれている皆さんへ、信頼を失うのはあっという間ですが、信頼を得るにはユーザ様側からの視点を持ち謙虚に真摯に迅速にシステム開発を行う必要が有ります。

 またこの沖縄テレビ様のQWS開発、その後の山形放送様のSPOTDESK開発、東芝小向様のRKK/BEST11−U、MBC/DLS開発、MBC様のラジオHIBS開発と、統合システム開発部ソフトウェア開発グループで開発したシステムは徐々に赤字は減ったものの赤字での開発が続きました。但し、納品したシステムはトラブルも少なくユーザ様からの評価は良かったと思います。

 当時担当役員の原田専務(統合システム開発部部長兼務)、野間社長もそれを認めて私にこの仕事を継続させてくれたと思います。グループの営業収支が黒字になったのは1996年度、私が課長になってから4年目の事でした。この間の累計赤字は1億円にもなりましたが、その後2006年度まで(デジタル特需を含めて)15倍以上会社に貢献出来たと思います。
現在のHIBS開発の最初のターニングポイントのシステム開発だったと思います。


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