若狭海浜公園から波の上臨海道路を望む

那覇市内でも海が凄く綺麗...
波の上ビーチ

平日の18時頃なのに泳いでいる...多分観光客?! 地元の人は泳がない?!
県庁前

9月29日の撮影、気温30度。まだまだ夏日...
ジャンボ・シーサー

ゆいレールの牧志駅前に出来た、高さ3.4mの焼物(ヤチムン)としては最大
園比屋武御嶽石門(そのひやんうたきいしもん)

琉球石灰岩で造られた建造物で、国王が外出するときに安全祈願をした礼拝所である。
門の上部に掛けられている扁額(へんがく)の内容から1519年(尚真王(しょうしんおう)代)に建てられたことが判明している。
首里城
守礼門(しゅれいもん)

首里を東西に貫く大通りである「綾門大道」(アイジョウウフミチ または アヤジョウウフミチ とも)の東側に位置する牌楼型の門(楼門)である。
日本城郭でいう首里城の大手門に値する。柱は4本で二重の屋根を持ち、赤い本瓦を用いている。
沖縄戦で焼失したが、1958年に再建され、1972年には県指定文化財となった。
歓会門(かんかいもん)

首里城の城郭(じょうかく)内へ入る第一の正門で、「歓会(かんかい)」とは歓迎するという意味である。
往時、首里城へは中国皇帝の使者「冊封使(さっぽうし)」が招かれたが、こうした人々を歓迎するという意味でこの名が付けられた。
冊封七碑(さっぽうしちひ)

「冊封七碑(さっぽうしちひ)」とは、龍樋の周辺に設置されている七つの石碑のことである。
中国皇帝の使者として琉球国王の即位を宣言するために遣わされた歴代の「冊封使(さっぽうし)」たちは、龍樋の水の清らかさを讃え、漢詩を詠んだり題字を残した。
それらの碑は沖縄戦で破壊され、ほとんど現存しないが、1984年(昭和59年)発掘調査の際に「飛泉(ひせん)」という割れた石碑が発見され、沖縄県立博物館に保存されていた「漱玉(そうぎょく)」という石碑の残り半分であることが判明し当時話題になった。
「飛泉漱玉(ひせんそうぎょく)」とは清らかな泉が玉のように飛び散っているという意味である。
瑞泉門(ずいせんもん)

「瑞泉」とは「立派な、めでたい泉」という意味である。
門の手前右側にある湧水が「龍樋(りゅうひ)」と呼ばれ、それにちなんでこのように名付けられた。
ここは第二の門で、別名「ひかわ御門(うじょう)」ともいう。

漏刻門前から久慶門(右手)、歓会門(中央奥)を望む
広福門(こうふくもん)

「広福」とは「福を行き渡らせる」という意味。建物そのものが門の機能を持っているのが特徴。
門の正面に向かって左側が、士族の財産をめぐる争いを調停する「大与座(おおくみざ)」、右側が神社仏閣などを管理する「寺社座(じしゃざ)」という役所になっていた。
奉神門(ほうしんもん)

「神をうやまう門」という意味で、首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る最後の門である。
1562年には石造欄干(せきぞうらんかん)が完成したという記録があることから創建はそれ以前である
。
その後1754年に中国の制に倣い改修した。建物は明治末期頃に撤去されたが、1992年(平成4)に外観が復元された。
別名「君誇御門(きみほこりうじょう)」ともいう。向かって左側(北側)は「納殿(なでん)」で薬類・茶・煙草等の出納を取り扱う部屋、右側(南側)は「君誇(きみほこり)」で城内の儀式のとき等に使われた。
3つの門のうち中央は国王や中国からの冊封使(さっぽうし)等限られた身分の高い人だけが通れる門である。それ以外の役人は両側の門から入城した。
正殿(せいでん)

正殿は琉球王国最大の木造建造物で国殿または百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)とよばれ、文字通り全国百の浦々を支配する象徴として最も重要な建物でした。
正殿を二層三階建てとすることや装飾化した龍柱は日中にも類例がなく、琉球独自の形式といってよいでしょう。
首里城正殿の壁等の彩色塗装には、桐油が塗られています。なお、下地の一部は漆です。
御差床(うさすか)

国王が座る玉座。
御差床後の障子戸を開くと、奥に国王専用の階段(おちょくい)があります。国王はその階段を使って2階から御差床に出御します。
御差床左右の柱には龍が描かれ、そのまわりには雲が配色されています。
なお、国王の椅子については、1477年〜1526年まで在位した尚真王の御後絵(肖像画)をもとに再現したものです。
2階にも1階と同じ場所に御差床があるのは極めてめずらしいと言われています。特に2階の御差床は絢爛豪華(けんらんごうか)な意匠となっています。
正殿(せいでん)を北殿より見た

御庭(うなー)

「御庭(うなー)」は首里城の中心部である。正面が「正殿」、向かって右(南側)が「南殿・番所(なんでん・ばんどころ)」、左(北側)が「北殿( ほくでん)」で、これらに囲まれた中庭広場の空間を「御庭」という。
年間を通じて様々な儀式が行われた広場である。御庭には磚(せん)【敷き瓦】というタイル状のものが敷かれているが、この色違いの列は、儀式のさいに諸官が位の順に立ち並ぶ目印の役割をもっていた。
中央の道を「浮道(うきみち)」といい、国王や中国皇帝の使者【冊封使(さっぽうし)】等限られた人だけが通ることを許された。

右掖門(うえきもん)から歓会門方向を望む
城壁の組み方が日本の戦国時代の城壁と違っている...不定形の石(沖縄石灰岩)をきれいに組み合わせている。