松江(TSK)出張、FNSサーバ更新
2011年7月12日〜
仕事の合間に宍道湖近辺を散歩  戻る

白潟公園 青柳楼(あおやぎろう)の大燈籠
新潟出張01
この石燈籠は、もともと明治初期から松江の歓楽地として賑わった白潟天満宮の裏で、代表的な料亭の一つ「青柳楼」にあった。
当時その辺は宍道湖の波打ちぎわであり、総来待石・高さ六メートル余の大石燈籠は、入江の燈台の役目を果たしていたもので、松江の名物の一つなっていた。
その後、宍道湖の埋め立てにより取り残されていたが、松江開府三百五十年際にちなんで昭和三十三年現在地に移設された。
また、明治維新の時、松江藩の危急を救ったといわれる侠女、玄丹お加代が、後に芸妓として勤めていたのが、青柳楼の隣にあった鳴玉楼だったことから、この石燈籠は、「お加代燈籠」とも呼ばれるいる。

白潟公園
新潟出張02
水辺に降りる階段や散策道が整備されいる。
新潟出張03
松江しんじ温泉方面

宍道湖のシジミ漁
新潟出張04
火曜日の朝は、50隻以上の船がシジミ採りしていたが、水曜日は1隻もおらず、調べたら自主規制を行っており、操業日は、月・火・木・金の週4日。
操業時間は、午前中の3時間以内(手掻きは4漁獲時間以内)またシジミの漁獲量は全国河川・湖沼で46%を占めている。

新潟出張05
採捕道具は、「鋤簾(じょれん)」と呼ばれる鉄のあみかごに長い棒がついて重さ20kgほど(シジミと泥などが入ると50kgくらいになる)
目合いは11mm以上(小さいシジミは採ることができない)で、採捕量もコンテナ2箱以内(150kg以内)と決まっている。

袖師地蔵(中央に見えるのは嫁ヶ島)
新潟出張06
江戸初期(寛永年間)に、後方の円城寺山の麓、宍道湖岸の袖師ヶ浦に建てられた。
その昔、嫁ヶ島沖は難所であってここを通貨する船はたびたび遭難し、この水難者を供養するために建てられたと伝えられている。
手前の袖師地蔵(地元の来待石製)に寄り添うように建っているのが石灰地蔵(御影石製)である。
江戸末期に、雲南市大東町在住の人によって建てられたもので、宍道湖で採れるしじみ貝から石灰を作る所の横にあったので石灰地蔵と名付けられたらしい。
明治中頃、袖師ヶ浦の袖師地蔵の隣に移転し、またこの付近一帯の湖岸埋立てにより、昭和47年秋そろって現在の位置に据えられた。

嫁ヶ島(よめがしま)
新潟出張07
宍道湖に浮かぶ唯一の島で、東西に長く全長110m、幅約30m、周囲240mの扁平な形をしている。
島の西側には弁天様を祀る竹生(ちくぶ)島神社の小祠があり、東端には鳥居もあって30本ばかりの松が風情を添えている。
奈良時代にできた「出雲風土記」には蚊島(かしま)とあり、いつのころから、これに可憐な嫁島(かしま)の字があてられ、悲運の若妻の伝説も加わり、嫁ヶ島の呼び名になったといわれている。
この嫁ヶ島に向いて見る夕日は、宍道湖夕日スポットして整備されている。
出張日は夕日が写真の右側のホテル側に沈んだ為写真を撮らず...春先から夏至までが見ごろか?



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