名監督・直村鉄雄
出展:zakzak by 夕刊フジ 【高校野球100年 発掘・事件史】最高の舞台で「殉職」した名監督・直村鉄雄

 「グラウンドで死ねたら本望」といってはばからない野球人は少なくない。高校球界では甲子園大会で指揮を執っている最中にベンチで倒れて亡くなった監督がいた。
 直村鉄雄は愛媛の名門・松山商出身。1952(昭和27)年春に福岡・戸畑高等学校の監督に就任し、創部6年目のチームの甲子園出場を託された。

 1957(同32)年夏に甲子園初出場。高知や坂出商(香川)という優勝候補を連破して4強まで進んだ。そして1959(同34)年に悲劇は起こった。
 春に続き夏も甲子園出場を決めたが、福岡大会中から体調が思わしくなかった。甲子園に向かう列車内で発熱、大会前練習ではノックバットを握れないほど悪化していた。8月11日の日大二(東京)との初戦。それでも直村はベンチで采配を振った。0−0の6回表に先取点を献上した直後、ベンチで倒れた。病院(大阪大学医学部付属病院)に搬送されたが、4日後の同15日に帰らぬ人となった。病名は「化膿性髄膜炎」。42歳という若さだった。

 日大二戦は0−2で敗れたが、戸畑ナインは翌1960(同35)年夏も連続出場。開会式では選手が直村の遺影を持って行進。その姿に満員の観衆は涙した。初戦で高岡商(富山)を2−1で破り、亡き恩師に白星を捧げた。
 戸畑での監督在任期間は8年。甲子園出場も3度だけだが、何人ものプロ野球選手を育て壮絶な死を遂げた男の名前は、高校球史に残っている。

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